会社は理不尽を要求する。それは一度や二度ではない。
そのうえで、正義を成すには、むしろ誰よりもはっきりと、自らの正義を自覚する必要がある。 誰もが同じ正義を持つ必要はないし、誰もが同じ正義を持つことはできない。
正義は多次元のベクトルであり、そのうちのいくつかが重なることはあっても、完全に同じになることは、ない。 誰もが目に見えない、自らの正義を持っている。
けれども経営者ほど、その正義を求められる仕事はないだろう。 結局のところ、会社の経営というのは、トップの正義によっていかようにも変わってしまう。
正義と経済合理性のせめぎ合いが、経営であり、ビジョンであると言ってもいい。
少なくとも僕にとってはそうだ。